賢さ

世界には賢くて馬鹿な人間しか生きれない。
考えが成長段階の時に成長段階にあわない思考回路や視点をもってしまう人は大抵自殺するか、自殺未遂をする。

世界中のほとんどは馬鹿にすぎない。
ただ、それは強みや賢さでもあり、生きる力でもある。
人間は防御本能で非現実的な答えなどは受け付けなく、見もしない。
代わりに現実的で自分に合った答えや結果に置き換える。
それが、人間社会での生きる力に変わる。

承認欲求も、プライドも、何も考えれない思考でも、それは非現実的から現実に戻し、人間社会を生きる方向へと変わる。

逆に賢さとは、思考の奥深さなどを重要視する
思想家や、哲学者などではなく、
数学者や研究者になるだろう。
哲学者や思想家は人間社会において非現実的な
問いや、答えを出す。人間社会にとっては不要だ。
数学者や研究者は人間社会に必要な問いや結果を出す。
そのため賢さとは人間に有益になりうる者への
当てはめにすぎない。

哲学的にいう賢さとしては
自分に都合のいいように受け入れる人を
賢いと言うだろう。
人間社会で楽に生きるためには1番の賢さだ。

まとめとしては、馬鹿でも賢く、
世間のいう賢い人は大抵非現実的世界を観ながら現実世界を生きたり、現実世界に当てはめようとする人であって、本当の賢さは
現実世界を楽に生きたり、人間に有益になりうる人材を賢いという。

※これは一つの賢さとしての見方であり、
賢さという概念を断定するものではない。

世界の周り

大抵の人間は思考を止めている。
人間としては周らないが、世界は止めた方が周る。
世界の流れに沿って思考を止め、
その流れに人間は乗る。
自分が乗っているとよく思うが、流されていることにはあまり気づかない。

思考を止めることは権力者や国家には好都合だ。
彼らが作った波に疑いもせず乗ってくれる
人間ほど良いものはない。

波を作る者は上に立ち、
波に乗る者は下に留まる。

疑いを持つ者は埋もれる。
疑いを持ち、動く者は変わり者。

疑いを持ち、希望を持ち、なお動く者には、
今の時代では「革命家」というレッテルがよく似合う。

思考を止めれば失うものは多い。
ただ、それに気づけないし、気づいたとて
失ったものの価値はあまり分からない。
この今の世界を生き抜くなら流された方がいいのかもしれない。

もし疑いをもったり、動こうとするならば
時を見計らうのが大事だと考える。
そうでなければ、
その疑いは自分だけのものになり
世界に出ると無に等しいからである。

この世界ほど面白く、悲しく、醜く、楽しく、
愛を感じたり、
外からみても、内からみても
感情を全て感じれる世界はあまりないだろう。

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